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 通りには、細い木材が縦に何本も組み込まれた連子窓の建物が並ぶ。その一つ、手作り工房「其蜩庵」(きっちょうあん)の藍色ののれんをくぐった。さまざまな裂き織り、藍染め、竹細工などの民芸品や機織り機もある。2人にとってはどれもこれも珍しい。工房を運営する椎ミチ子さん(76)は2人の姿を見て、「この辺は若い人がいなくなっているから、こういう人たちにもっと来てもらいたいね」と目を細めた。

 古民家空間「京町亭」で島のフルーツを味わい、江戸時代から時を告げてきた「時鐘楼」脇を通ると、右側に長い赤れんが塀。思わず2人は「きれい」。明治時代に建てられた旧相川裁判所の塀だ。塀の中の建物は現在、佐渡版画村美術館になっている。その先、左手が奉行所跡。歩いた道のりはおよそ700㍍

 「昔から人がまちをつくって住んでいたと実感できる場所」と小越さん。大塚さんは「写真を撮りたくなる所がいくつもある。人が多かった頃のまちを坂の上から見たくなった」。2人が生まれるずっと昔の風景に思いをはせた。

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 およそ1千年前、佐渡島で黄金が採れるという話が現在の石川県・能登の人々に伝わったといわれている。江戸開幕の2年前、1601年には3人の山師が島の北西の山中に相川金銀山の鉱脈を見つけた。島は幕府の直轄地「天領」となり、寒村だった相川には最大5万人の人々が住んだ。島の生業や文化、自然にさまざまな物語が編まれ、そのすべてが島の誇りとなった。

 それらを紹介してきた新潟日報社の「SADOプライド」プロジェクトでは今年、佐渡観光応援公式サポーターのNGT48とコラボした「NGT48推し旅」企画を展開する。第1弾は相川編。春の陽光が降り注ぐ金銀山のまちをNGT48メンバーの大塚七海さん(22)と小越春花さん(18)=ともに新潟市出身=が歩き、推しポイントを探した。

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 かつて金銀山で働いた人々でにぎわった相川・京町通り。江戸時代には佐渡奉行所と金銀山を結ぶメーンストリートだった。山を背にすると、坂道をずっと下った向こう側に、キラキラと日の光を細かく反射する海原が見える。

 「すごい景色!」。大塚さんと小越さんは声を弾ませ「ワクワクする」。どこまでも青い海へと体が引っ張られるような下り坂。足取りも軽くなる。

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大切山坑

 島を代表する観光地、史跡「佐渡金山」。2人は江戸初期の手掘り坑道「大切山坑」の入り口前でライト付きヘルメットをかぶった。かっぱも羽織って長靴を履いた。鍵がかかった柵が開くと、「真っ暗!」。

 かがまないと天井の岩に頭をぶつける場所もある。2人の身長は159㌢と同じだが、小越さんのヘルメットばかり何度もゴツン、ゴツン。その後ろを歩いていた大塚さんは「おかげで私は気を付けた」。迷えば出られなくなると聞いた小越さんは声を潜め、「今日が私の最後の日になるかもしれません」と自分を動画で撮り始めた。

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 この坑道の開削は1634年。14年間に約400㍍を掘り進めた結果、大鉱脈が見つかったとされる。のみとたがねの削り跡が残り、空気を循環させるために2本の坑道を並行して掘った特徴が見られる。江戸時代前期の「宗太夫坑」や明治に開削された「道遊坑」は入場料を払えば自由に見学できるが、大切山坑は予約制でガイドが必要。今回のガイドは株式会社ゴールデン佐渡の戸田涼太さん(27)。「当時は進行方向の左側に水路を作った」などと説明しながら、足元や頭上への注意を何度も呼び掛けた。

 およそ1時間の「大冒険」。小越さんは「怖かった。足元はジメジメしているし。もし、ここで働けと言われたら、私、どうしただろうって思った」。一方、大塚さんは「怖かったけど、ワクワクした。昔の跡がそのまま残っていて、働いた方々の姿を想像できた」と楽しんだようだ。

SADOプライド | NGT48推し旅 メイキング動画
撮影時に密着したメイキングやオフショット動画を公開中!

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